来月20日開催予定のリサイタル、
2年半ぶりに取り上げる曲目をプログラムラストに演奏します。
その曲目、シューベルト/アルペジオ―ネ・ソナタです。
コントラバス奏者として通算4回目の演奏となります。
ちなみに、この曲をピアニストとしても何度か経験していまして、
この曲について語りだしたら長くなりそう。
そうです、今回のコラム、かなりの長文になるようです。
そもそも、アルペジオ―ネとは何なのか?
勿論、楽器の名称なのですが、これを詳しく説明するのは、ちょっと大変。
乱暴な説明でいいのだったら「ギターの形をしたチェロ」かなあ?
弦は6本、調弦方法はギターと同じ、でもチェロのように弓を使って演奏。
そしてギターと同じくフレットがあるのも特徴的。
この楽器が作られたのが1823年、
シューベルトがアルペジオ―ネ・ソナタを作曲したのがその翌年の1824年。
恐らくは他の作曲家もこの楽器のために作品を残しているのでしょうが、
残念なことに、楽器そのものが今日ではすっかり廃れてしまったので、
実際にオリジナルのとおりにこの曲を演奏することは今日では非常に困難な状況。
実は中学生の頃にクラシックギターを弾いていた経験がある私なので、
右手の練習と楽器の構えをしっかりと覚えたら、この楽器は弾けるかも?
と、そんな非現実的なことはさておき、
この楽器に関する詳細なことは、奥村治さんが運営していますサイト「アルぺジョーネの世界」をご覧になることをお勧めします。
さて、私にとってのアルペジオ―ネ・ソナタは、非常に特別の想いがある曲なのです。
恐らく、1991年夏に起こった極めて偶然な出来事がなかったら、私は音楽の道に進んでいなかったであろう、そんな曲なのです。
ここからは、時計の針を22年前に戻してみます。
1991年夏、私はドイツに50日間の短期語学留学をしていました。
7月中旬から1ヵ月間フランクフルト近郊の町マインツでドイツ語の授業を受け、
8月中旬に1週間弱ベルリンを旅行していました。
クラシック音楽を齧っていた私はベルリンフィルの本拠地であるフィルハーモニーを見に行ったのです。
ただ、当然のことですが、演奏会があったわけでもなく、ホールの中には入れません。
そこで、併設していました楽器博物館を見学したのでした。
当時音楽を専門に勉強をしていない、ただの大学生だった私にとって、この博物館の展示内容は極めて興味深いものでした。
そこで、ひとつの展示に足を止めたのです。
そう、アルペジオ―ネの楽器展示があったのでした。
「へ~、これがアルペジオ―ネか!」と食い入るように楽器を眺めていた私、
そこには楽器の音が聞ける視聴コーナーがあったのです。
まさか、そんなところでシューベルトのこの曲をオリジナルの楽器の音で聴けるなんて!
この時の興奮は私にとって強烈な記憶として残りました。
ベルリン旅行を終えて、次に向かったところは北ドイツの都市、ハンブルク。
ここで2週間のホームステイをすることとなったのです。
ある日、私は何気なく街を歩いていまして、ブラームスが産まれたとされる家に行っていました。
ただ、残念なことに、その日は中に入ることが出来なかったので、外観だけを見て帰ろうとしていました。
すると、そこに何やらその家の管理人らしき人とアジア系であろう女性が会話をしていまして、なにやら揉めている様子。
「ドイツ語の練習になる」と思った私はその会話に割って入ってみました。
するとその女性、いきなり日本語で「なんて言っているのですか」と私に尋ねてきました。
久しぶりに日本語を聞いた私はなんだかほっとした気分となり、その後その女性としばらくの間話をしていました。
聞けば、日本の音楽大学を卒業してフリーで活動をしているヴィオラ奏者で、会話をした日の翌日にはハンブルクの音楽大学でレッスンを受講するとか。
「ふ~ん」と素っ気のない返事をした私。
その出来事をホームステイ先のお母さんに話をしたところ、「あなたはそのレッスンを見に行きなさい」と言われてしまいました。
多分、午前中だろうなあと思っていた私、全くアポイントを取らないで音楽大学に足を運びました。
運のいいことにそのヴィオラを弾く彼女と遭遇。
「レッスン見学していいですか?」と問い合わせてOKをもらいました。
当時一般大学生の私にとって、ヨーロッパで本格的なレッスンを見るなんて貴重な体験、どうなるんだろうと思って先生と対面。
その先生、凄い方でした。
その先生、深井碩章先生でした。
当時ハンブルク音楽大学教授で北ドイツ放送交響楽団首席ヴィオラ奏者でした。
ヨーロッパ屈指のヴィオラ奏者でして、私もそのお名前を知っているだけでなく、放送などでもその演奏を見たことがあったのでした。
そして、レッスンでの曲はまたまた偶然にもアルペジオ―ネ・ソナタ。
難なく聴講させてもらうことを認めてもらい、興味深くレッスンを見学。
その日の夜だったか、翌日の夜だったか、その記憶が曖昧なのですが(いや、日記をつけていたので、調べればわかるのですが、その日記が今手元にないので)、
ある演奏会に足を運んでいた私、
またまた例のヴィオラを弾く彼女と遭遇。
そして、とんでもない依頼を受けたのです。
「今度、またレッスンを受けることになったのですが、ピアノ伴奏してもらえませんか?」
何を思ったのか、このオファーを当時の私は引き受けてしまったのでした。
ということで、今度はピアニストとしてレッスンに参加。
曲は勿論、アルペジオ―ネ・ソナタ。
そしてレッスン2回目の日、ピアノ付きでのレッスンとなり、アルペジオ―ネ・ソナタ全楽章を2時間かけてレッスンが行われました。
当時音楽に関しては完全にアマチュアであった私にとって、この2時間のレッスンは大変貴重な体験となりました。
勿論、そんなに上手くピアノを弾けていなかったはずですが、この時に一緒に音楽を作り上げていくという素晴らしい経験を実感することとなったのでした。
ほんの数小節ですが、先生とも一緒に弾かせていただきました。
そりゃ、感謝感激ものでしたよ!
そして、この2時間のレッスンを終えてから、帰国するまでの数日間、
まだ将来の進むべき道を模索していた私は大きな決心をしたのでした。
「音楽の道に進む、音楽を職業にしたい」
こうして、今の私は音楽家となっています。
間違いなく、1991年のドイツでの体験がなければ、今の仕事はしていなかったと思います。
それほど、人生のターニングポイントだった事件でした。
なので、私はこの曲をコントラバス奏者として弾く時は、自分自身の成長のバロメータとして捉えています。
この素敵な曲をコントラバスで演奏することは困難なことではありますが、
自分自身にとっては大変魅力的な音楽であり、
この曲を弾いているときは何物にも代えがたい至福の時でもあります。
通算4度目、私はどれだけ成長をしたのかなあ?
おっと、間違っても衰えてはいませんよ。
2013.9.23