vol.26 モーツァルトが描いた低音の世界~その6~

<6>~コントラバスのオブリガート付きバスアリア~

 

いよいよこのコラムの本丸となりました。

ということは、今回の一連のシリーズの最終回となります。

モーツァルトが作曲したコントラバスのオブリガート付バスアリア

「この麗しい御手と瞳のために"Per questa bella mano"」k.612について記述します。

この曲はバスアリアですが、

モーツァルトが残したコントラバスソロの曲という範疇に含めれば、

唯一の曲といっていいでしょう。

コントラバスソリストならば、一度はこの名曲を弾いてみたいという思いはあるものです。

この作品の自作作品目録には、

「バスアリア、コントラバスのオブリガート付き、ゲール氏及びピシュルベルガー氏のために」と書かれています。

ここで、初演時にこの曲を演奏した2人について説明が必要となります。

 

フランツ・クサヴァ―・ゲール(Franz Xaver Gerl 1764–1827) は1791年9月30日「魔笛」の上演でザラストロを演じたシカネーダー一座のバス歌手です。

フリードリッヒ・ピシュルベルガー(Friedrich Pischlberger)はコントラバスの名手で、

シカネーダーのフライハウス劇場に所属していました。

 

さて、歌詞の内容は、恋の告白で、オペラブッファの挿入曲。

ドイツ(アメリカに帰化)の音楽学者でモーツァルト研究者として知られる

アルフレート・アインシュタイン(Alfred Einstein 1880-1952)は、

「テノールにふさわしいアリアをバスが歌い、カバのような助奏までついているから、パロデイの感じになった」と評しています。

果たして現代の我々がこの曲を聞いて、パロディと解釈するにはいささか無理がありますが、

バスの旋律には素直に美しい印象が残るものであります。

次に、オブリガートとして登場する、この曲のコントラバスパートについて論じてみますが、

この曲のコントラバスソロの技巧は大変に難しいものなのであります。

18世紀末のウィーンで主流だったチューニングがウィーン式チューニングでして、

弦が5弦で、上からラ(A)−ファ♯(Fis)−レ(D)−ラ(A)−ファ(F)、

音程にすると3度・3度・4度・3度というもので、

開放弦の上から3本によってニ長調の主和音が得られます。

モーツァルトはこのチューニングを想定してコントラバスソロを書いたはずです。

このチューニングでも演奏はなかなか難しいのに、

現在コントラバス奏者が使用しているチューニングだと、

ソロチューニングだろうがオーケストラチューニングだろうが、もっと難しくなってしまって、

弾くのは本当に大変なのです。

私の場合、さすがにウィーン式チューニングで演奏する勉強を全くしてこなかったので、

2006年4月9日のリサイタルでは、オーケストラ・チューニングによる演奏となりました。

簡単ではありますけれど、楽曲についての解説をしておきます。
曲は導入部分がゆったりしていて、その後アレグロとなる、非常にわかりやすい形式でああります。

オーケストラの編成もそれほど大きなものではありません。

管楽器はフルート、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2のみ、あとは弦楽合奏。
実はバス独唱が入るまでにオブリガート・コントラバスは演奏する箇所があるのです。

そこにはいきなりドッペル奏法が出てきていて、

なるほどウィーン式チューニングでないと演奏は容易でないことがいきなり証明されているのです。

バス独唱が始まるとコントラバスは完全にオブリガートとしての役割に徹することとなります。

ただ時折旋律らしきものを担当することもあります。

の際、バス独唱がオブリガート的に歌うのですが、この時の音量バランスはとても難しいと思われます。

本来の旋律をコントラバスが奏でているのに、どうしてもバス独唱のほうが大きく聞こえてしまうという現象が起こります。

こういったパッセージをコントラバス奏者がいかにホール全体に響かせるかが、腕の見せ所といえます。
アレグロからはコントラバスはなかなか達者な動きを見せます。

ただ、この動きをクリアーに聞かせることが非常に難しいものです。

バス独唱にヴォリュームの点で負けてしまうことも懸念されますが、

オーケストラに負けてしまうことそのものも心配事といえます。

2箇所、レチタティーヴォ風な部分がありますが、

ここも後半部分はコントラバスが歌うのに、オブリガート的な役割のバス独唱が圧倒的に聞こえてしまうのです。

しかも、バス独唱とはいえかなり低い音域。

ひょっとすると、先程からコントラバスが旋律でバス独唱がオブリガート的な動きとなるときに、

アインシュタインが述べていた「パロディ」的なるものが表れているのかもしれません。
コーダに入ると楽譜に書いてあるアーティキュレーションでコントラバスが演奏することはウィーン式チューニングであっても困難な(ひょっとしたら不可能?)パッセージが延々と続きます。

そして、曲は華々しく終了します。

モーツァルトはこの作品をバス歌手とコントラバスの名手のために1791年3月8日に作曲を完成しています。

でも、そもそもの疑問があります。

モーツァルトはどうしてこのような変則的な編成のアリアを作曲したのでしょうか。

以下は溝入敬三著『こんとらばすのとらの巻~音楽とコントラバスを愛する人のための事典』(春秋社2004年)に記述されている通説であります。

そのまま引用しました。
「モーツァルトは、コントラバスの名手ピッシュルベルガーの演奏を聞き、彼の美しい手が指板上を華麗に動き回るのを見て、ホモ的に感動してしまったという話。モーツァルトは周知のとおりホモも大好きな両刀スケベ人間だったのだから、ありそうだ。むくつけきバス歌手が、「そなたの手は、なんと美しいのでしょう」と歌い、そのメロディーに、コントラバス奏者がオブリガートを絡め付けるのだから。」(p.159)

モーツァルトの性格から想像すれば、以上の通説を信じてもいいのかもしれませんが、

演奏中はこのようなことを考えたくはありませんね。

そうでなくても、コントラバスのパッセージは大変に難しいのですから、

そんな邪念を想像している余裕などありません。

ただ、バス歌手は容易に歌えるらしいので、

歌詞のとおりのことを考えながら歌っていたとしたら身の危険を感じてしまいます。

だって、そのまま2人の関係がホモの関係になってしまうのですから。

もっとも、コントラバス奏者が女性なら、立派な恋が成立するかも?


ところで、モーツァルトのこの曲の影響からか、

同じような編成での曲は数こそ少ないのですが、いくつかあるようです。

 

ヨハネス・シュペルガー(Johannes Sperger 1750-1812)が書いた

Selene, del tuo fuoco non mi parlar

これはレチタティーヴォとアリア。

12分もの演奏時間を要します。

残念ながら、イタリア語に弱い私は日本語訳を知りません。

 

アドルフ・ミューラー(Adolph Müller 1801-1886)が書いた

Lied an den Contrabaß

「コントラバスへの叙情詩」と訳すればいいのでしょうか。

5分くらいの短い曲。

 

以上の2曲が現在私が楽譜を所有しているものです。

なので、一度モーツァルトの曲も含めて3曲全部を演奏してみたいものです。

もっと可能ならばオーケストラ伴奏で取り上げてみたいものですが、実現の目途は全くありません。

 

 

ということで、以上がコントラバスソリストの視点で語ったモーツァルトの世界でした。

2006年にこのコラムに書かれた曲をリサイタルで取り上げたのですが、

その時の風景が今でも忘れられません。

音楽としても学問としても、非常に興味深いこのプログラム、

また再演してみたいと思っています。

まあ、いつになるのかは不明ですが。

 

2014.5.3