vol.11 左手のピアニスト~その2~

前回のコラムでは、左手ピアノに感心を抱いた契機について書きました。

今回は、これらの作品について、もう少し掘り下げてみようと思っています。

 

 

バッハ(ブラームス編曲)/シャコンヌ冒頭部の楽譜
バッハ(ブラームス編曲)/シャコンヌ冒頭部の楽譜

私が高校生の頃から好んで弾いていた左手ピアノの作品に、バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティ―タ第2番ニ短調よりシャコンヌがあります。

ヴァイオリンの曲?原曲はそうですが、

このシャコンヌが大変素晴らしい曲でして、実にいろんな楽器による編曲が存在しています。

ピアノに編曲されたものでしたら、イタリア出身でドイツで活躍したピアニストであるフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)のものが大変有名ですが、

左手の練習のためのピアノ曲としてはブラームスが編曲したものがあるのです。

私が好んで弾いているのは、勿論このブラームス版です。

このブラームス版、原曲の音域を1オクターブ低くしたものでして、中低音に広がる大きなスケールを感じさせてくれます。

曲の途中で出現してくるアルペジオはなかなか弾いていて疲れさせますが、

左手の練習曲とはいえ、奥深い芸術性を感じさせてくれる、大変素晴らしいものです。

現在では、左手のピアニストにとっては外すことの出来ない貴重なレパートリーなのではないでしょうか。

 

 

アレクサンドル・スクリャービン
アレクサンドル・スクリャービン

貴重なレパートリーとして挙げるなら、この曲も挙げなければなりません。
ロシアの作曲家でピアニストであるアレクサンドル・スクリャービン(1872-1915)が作曲した「左手のための2つの小品」であります。

この曲、前奏曲と夜想曲(いわゆるノクターン)の2つの小品で構成されています。

これを作曲した当時のスクリャービンは右手手首を故障していました。

ということは、左手だけでピアノが弾ける作品が欲しかったのでしょう。

この作品も私は好んで弾くようになりました。

とってもロマン的な作風でして、叙情性が素敵な魅力ある小品です。

 

 

これらの作品を弾いていて、私自身感じることがあります。

それは、左手だけで弾いていることに対する違和感があまりないということ。

こと、スクリャービンの作品は、音を聞いているだけで左手だけで弾いているとは聞こえないものを感じさせてくれます。

そして、何か特別なことをしているというものではなく、演奏そのものが自然なものを感じてしまうのです。

なぜでしょうか?

それは、左手の持つ指の特徴があるからではないでしょうか。

以下に、スクリャービンの書いた前奏曲の冒頭部分の楽譜を例示して分析してみましょう。

楽譜にあるメロディーラインは、親指で演奏されます。親指は5本の指の中でも強い力を持ちますから、メロディーラインを浮かび上がらせるには適した指といえます。

人差し指とか中指も比較的使いやすい指ですから、メロディーを弾くには使い勝手がいいといえます。

反面、小指や薬指はどちらかといえば不便な指です。でも、他の指との力関係を考えると、バスラインをなぞるには適しているかもしれません。

私自身の左手で分析をすれば、コントラバスを弾いている関係から、指先などに蛸が出来ています。

なので、バスラインを担当するであろう小指や薬指も比較的豊かな音を出すことが出来ると自負しています。

しかも、私の左手、右手よりも指が長く(特に小指と薬指!)、がんばれば最大10度まで広げて鍵盤を弾くことができます。

つまり、C(ド)の音がスタートとするなら、オクターブ上のE(ミ)の音まで広げて押さえることが出来るということです。

 

 

なるほど、以上の分析から、私にとっては左手ピアノの作品は取っつき易いということなのでしょう。

ということは、案外右手だけでピアノを弾くことよりもはるかに利便性が高く、芸術的でもあるということなのでしょうか。

そういや、右手だけで演奏されるピアノ曲に出会ったことはありません。

確か、左手ピアノの作品は2000曲以上もこの世に存在するのだとか!

では、科学的な要因は別として、これほどの多くの作品が存在するには、もっといろんな理由があるはずです。

そんなことを知りたくなった私、いろいろと調べてみました。

次回は存在理由について探りたいと思っています。

2013.7.25