vol.51 変革を求められた音楽教育の現場~2学期編~

コロナ禍の状況真っただ中の2020年、

これを書いている12月は、いわゆる第3波といわれる感染の拡大が続いている状況。

私が非常勤講師として勤務していた学校で、通常の実技授業(声楽やリコーダーなどの課題)は未だ実施出来ない状況にありました。

まだまだ変革が求められた現場だったのです。

この夏には「vol.50 変革を求められた音楽教育の現場」と題してレポートをこのコラムで書きましたが、

今回の内容は、その続編です。

 

 

<引き続きリズム学習>

夏休みが明けて、2学期最初のメニューは、1学期末に取り入れたリズム学習の続きを実施しました。

器楽の教科書から次の曲をいたしました。それは、

 

『打楽器のための小品』(黒沢吉徳作曲)

 

でした。

参考までに、私が作成した演奏動画を貼り付けておきます。

 

 

本当ならば、音楽室にある打楽器を使用すればいいのでしょうが、

今回の取り組みでは、生徒たちを6名以上のアンサンブルにグループ分けをして、

そのアンサンブルで生活に溢れている様々な道具を楽器にするという工夫をしてもらいました。

思わぬアイデアが生徒たちから溢れていき、つくづく子どもたちの創造力の豊かさを実感することとなりました。

 

 

<沖縄の音楽に触れる>

私が以前に勤務していた学校では、沖縄の音楽を取り扱っていました。

実は専用のテキストを私が作成していたくらいの熱の入れようでした。

さすがに、それをそのまま借用するのは無理がありましたので、

少しだけ触れることとしたのでした。

その課題、「沖縄の音階を使って作曲をしてみる」というもの。

一見、難しいように思えますが、案外出来ます。

その理由、音階を構成する音は5つだけだからです。

楽譜をご覧ください。

 

 

生徒たちには、簡単な旋律を作曲してもらいました。

出来た作品は、後日の授業で全曲は出来ませんでしたが、私がピアノで弾き、伴奏付けは私が即興でしました。

自分の作品が音になった、その瞬間の嬉しさ、あるいは恥ずかしさ、いろんな表情が子どもたちから垣間見えたことが、私には嬉しい出来事でした。

 

この頃から、私の授業メニューを考えるに当たり、

「音楽と社会」といった関わりを追求していくことが、案外「生きた知識(knowledge)」として有用ではないかと考えるようになりました。

そこで、沖縄の音楽に欠かせない三線(サンシン)について学びました。

でも、どちらかいえば、遠くペルシャからシルクロードを渡り、中国の三弦から沖縄に伝来して、そこから日本に渡り、三味線になったみたいな、

いわゆる楽器の伝来というものを紐解くことに重点を置いた授業でしたでしょうか。

 

 

<教科書にある特集ページを学ぶ>

中学2年生と3年生が使う教科書に、特集として読み物のページがありました。

そこを学習することに。

 

・著作権を学ぶ

音楽と著作権の関係は、実生活にも関わる大切な問題。

グループ学習で、どの事例が著作権に違反するのかどうなのか、

違反内容は何なのか、

そんなことを考えてもらいました。

 

・明治以降の西洋音楽の接収と日本音楽の影響

異文化交流の典型的事例が音楽にもあります。

その部分を学習。

ここは完全に歴史の授業のように、一方的に私が講義形式で進めたのですが、

生徒たちにはつまらない内容に感じられたかもしれません。

 

 

<NHKティーチャーズライブラリーの活用>

NHKティーチャーズライブラリーというものを知った私は、

そこからある番組のDVDを借りることとしました。

そして、それを授業で活用してみました。

この試み、私は良かったと思っています。

音楽に関連する番組があったので、それを使ったのでした。

2012年放送のクローズアップ現代「音楽にすべてをささげて 左手のピアニスト・舘野泉」を使いました。

 

 

 

<ジョン・ケージの4分33秒>

そして、とうとう、ジョン・ケージ作曲「4分33秒」を取り上げました。

(写真は楽譜の表紙)

最初に、私が5分間演奏すると生徒たちに告げて、この曲を演奏(?)しました。

不思議な空気が教室を支配しまして、正直、私自身もピアノの前に座り続けることが辛いものでした。

そして、聞こえてくる環境の音全てが音楽になりうるとの哲学を知り、

 

実際に自分たちの耳でいろんな4分33秒を聞いてみようと教室の外に出て、聞こえてくる音を記録。

子どもたちは、果たしてどんな音を聞いてくれたのでしょうか。

 

 

<2学期総括>

このように、2学期の間、試行錯誤が続く中での授業でした。

正直な感想、「うまくいった」と感じる瞬間よりは、「あ~、あの部分はもっとこうすればよかったなあ」みたいな反省の部分の方が多くあったと思いましたが、

 

こればかりは、やってみないと分からないことも多いものです。

コロナ禍の状況だからこそ、こんなことをしてみたのであって、

ある意味、企画力が問われるなあと思った次第です。

3学期は授業回数が少ないとはいえ、

更なる工夫が必要なのは明らかのようです。

理由はコロナ感染の収束が見えていないからです。

このコラムの続きは3学期終了の頃になります。

 

2020.12.1